他家とは全く違うことをやっていると、少なからず周囲には『やりにくさ(迷惑?)』を感じさせていると思います。
こちらが感じるやりにくさはこちらの勝手でやっているので『仕方ない』と諦めがつきますが、それより自分の勝手のために、周囲に迷惑をかけるのは正直申し訳ない気持ちがいっぱいで、何度か世の常識に挑戦をしたこともあります。
しかし当家的には納得のいかないことばかりで、やはり世間通りというわけには行かず今に至っております。この葛藤を解消する唯一の方法として、『相互理解』があるのかなと考え、とにかく当家の『目的』『目標』『方針』『結果』『作業方法』等々を常に周囲に発信し、極力衝突を回避し、『相互理解』を深め、最終的には同じ方向性で進める人達を増やし、『常識を変えていけるように』努力を続けています。そのコンセプトは
『常識』よりも『良識』を目指して!
です。
『常識とはその地域、グループ内での多数派の意見や考え方』の事を指すのだと思いますが、それよりは『実施する人は少なくても、本当はこうした方が良い、こうあるべきという良識』を目指す方がより良いものではないか? と考えております。
そのため当家の実施しているこだわりの内容が、ただの自分勝手や自己中心的とならない様に、世の中から見て『良識』と理解してもらえるかどうかを常に考え、日々襟を正して真っ当に実施しております。
少数派であっても、『良識』と捉えてもらえれば『しんどいのに大変ね、よくがんばるね、がんばってね』的な対応をしてもらえるようになり、周りの方々も『悪いことしてるわけじゃないから許してあげようか』的に、『違う行動をしている者に対する納得』をその方の思いの中でつけ易いのではないかと思うのです。やっていることが違うので、どこまで行っても『互いにやりにくさは完全には解消されない』からこそ、気持ちの整理がつけられるかどうかが大切ではないかと考えております。
『稲作というのは、他の農業に比べ、より集落性が強い』
ということが、実は『数々のこだわりをもってより良い米を作りたい』という気持ちを、実際の行動に変える際の『高いハードル』になってしまっているのです。そのため、それを実施する生産者が少なくなってしまっています。人間として、素朴にただ『より良い米を作りたい』という情熱を持っているだけではつぶされてしまうのです。本当に心底『みんなでよくなりたい』という『共生への熱い情熱』がなければ、良い稲作は実現できないのです。
『常に地域の未来像を描いて』
いくことで、多数派とならずとも『相互理解』が深まり、理解者が増え、地域で共生して、最終的に本当に良い米を作れる環境が整うのです。
少しずつではございますが、『相互理解』の末、はじめ『非常識』だった当家の考え方が『常識』に変化する部分が増えてまいりました。『良識』が『常識』になっていくことこそ、地域農業の真の発展に繋がり、当家もまたより良いものを作れるということで、地域に対しての取り組みを続けております。
『とにかく惜しまない』
ここまでの数々の『こだわり』を書かせて頂きました。
最終的な当家の『より良いものを作るためのこだわり』をまとめれば、
『まず採算ありきではない』『まずはより良いを追求』そこから
『資材機材を惜しまない』『努力を惜しまない』『労力を惜しまない』、
そしてくじけそうになった時、
『子供たちが美味しいと言ってくれる顔を思い出す』
『日本の美味しい米を守ってもらうためにも、「美味しい」を伝えないといけない』
『先人たちはもっともっと苦労をして、稲作文化を作り上げてきてくれた』
『その恩返しをしなければならない』
『こんなぐらいでへこたれている場合ではない』
と自分に言い聞かせ、奮い立たす。という思い(情熱?)をもって日々真摯に取り組んでおります。
『籾』(もみ)… お米の周りにまだ硬いからがついた状態の粒のことです。
『籾殻』(もみがら)…籾の周りの「から」の部分のことです。
『玄米』(げんまい)…籾から籾殻を取り除いた状態の米粒のことです。
『精米』(せいまい)…玄米の周りにある薄皮部や胚芽などを取り除く作業のことです。
『糠』(ぬか)…玄米(本当は穀物全般)を精米した際に取り除かれて出てきた、薄皮や胚芽の粉。
『白米』(はくまい)…玄米を精米し、糠や胚芽が取り除かれた白い米粒のことです。
精米して出来た白米のことを、単に『精米』又は『精白米』と呼ぶこともあります。
『穂(稲穂)』(ほ/いなほ)…稲の花が咲き(そのうち写真で紹介します)
その後『籾』になったものが房のようにいくつも連なって付いているものです。
ブドウ(巨峰のような)と比べてみると、『房』→『稲穂』、『一粒』→『籾』、『外の皮』→『籾殻』、『皮をむいた中身』(果肉の周りに紫っぽい部分がついている)→『玄米』、『果肉の内側』(薄緑の部分)→『白米』といった感じです。あくまでも個人的イメージです。
『刈り旬』(かりしゅん)… ちょうど良い刈り頃のことです。
『刈り遅れ』(かりおくれ)…「刈り旬」を逃して刈る時期が遅れてしまった状態のことです。
『登熟』(とうじゅく)…本来しっかりと熟した「完熟」に向け熟していく過程のことですが、「完熟した状態」を「しっかり登熟した状態」のように、完熟と同義語的ニュアンスで使用することもあります。
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